【マジ?】366日の設計に驚愕!西野亮廣の超高等テクニックを解説!えんとつ町のプペル〜約束の時計台〜
えんとつ町のプペル〜約束の時計台〜の挿入歌「366日」…
あなたは、どう感じました??
映画のクチコミはすこぶるいいですが、挿入歌に366日を使ったことだけは、賛否が分かれています。

ちなみに僕は、366日めっちゃ良かった派です。
なぜ、めっちゃよかった派なのかというと、曲が映画にマッチしてた!とか、そんな浅い感想ではありません。
同じクリエイターとして、西野亮廣さんの巧みさを感じました。
#勝手に西野さんと同列扱い
映画を観て「よかった」で終わるのも、もちろん素敵なんです。
でも、僕はどうしても、その一歩奥にある「設計思想」を、考察したくなっちゃうんですよね。
今回の『えんとつ町のプペル~約束の時計台~』で、僕がいちばん唸ったのが、やっぱり 「366日」なんです。
これ、ただの名曲起用じゃないんです。
西野亮廣さんは、ここでとんでもなく高度なことをやっているのです。
それは、「親子の距離を一気に縮める装置であった」ということです。
しっかり、解説していきます!!
えんとつ町のプペルにとって、366日は「懐かしさ装置」である!
結論からいきます。
366日を使う意味は、「懐かしさを作ること」です。
ここでいう懐かしさって、子どもに向けたものじゃありません。
親に向けた懐かしさ装置なのです。
子どもにとって366日は、ただの「初めて聴くめっちゃいい歌」です。
でも、親世代にとっては、青春の記憶をまるごと連れてくる曲なんですよね。
- 失恋した夜。
- カラオケで友達と熱唱した日。
- 好きだった人を思い出す帰り道。
曲が流れた瞬間、そういう人生の一場面まで再生されるようなパワーを持ってますよね。
つまり、映画を観ているはずなのに、同時に自分の中の違う思い出の感情が重なるのです。

これ、ズルいくらい強い。
ただ、366日は曲のパワー自体が強すぎる面もあります。
中には、東日本大震災を思い出す方もいるかもしれません。
また、本当にHYの366日に強い思い入れがある方にとっては、自分の思い出に土足で踏み込まれたと感じる方もいるのでしょう。
でも、それは既存曲を使う以上は仕方のない反応ですよね
でも、西野亮廣さんが本当にやりたかったのは、音楽による感動の増幅だけじゃないんです。
それは、ただ泣かせるための挿入歌じゃなくて、「親子の距離を埋めるための懐かしさ装置」なんです。
伝わるかな?
詳しくいきます。
なぜ「懐かしさ」は,、人の距離を縮めるのか
なぜ、映画に懐かしさの要素が必要なのか?
それは、「懐かしい」と「新しい」は、親と子どもをつなぐ最大の仕掛けになるのです。

懐かしいという感情は、大人しか持てない最強の共感資産なんですね。
友達と、「うわぁ、めっちゃ懐かしい」って話をする時って超楽しいじゃないですか??
9歳の娘と一緒に映画えんとつ町のプペル~約束の時計台~を観てきました。
娘にとって、366日は新曲です。
だから、純粋にメロディや歌詞の強さがストレートに刺さっていました。
家でもめちゃくちゃ歌ってます!
一方、僕たち親世代は違うんです。
曲を聴いた瞬間に、当時の空気、匂い、仕草、感情まで戻ってくるんです。
#366日の歌詞のまんま
つまり、子どもは作品の感動で盛り上がり、親は人生の記憶ごと感情が動いちゃうわけです。
そして、この温度差こそが映画を見た後に効いてくるんです、
実際に我が家で起きたこと
「怖いくらい~、ふふん、ふふん♪」
という子どもの新鮮な感動に対して、親は
「この曲の続き、お父さんめっちゃ知ってるよ」
という会話を差し出せるのです。
これだけで、子どもから見た親の見え方が少し変わるんですよね。
そもそも、子どもを映画に連れて行った時って「楽しかった?」って聞きますよね。
親も見ていたはずなのに、楽しかったかを子どもに確認するんです。
それは、大人自身は作品には没入していないということなんです。
でも、西野亮廣さんの設計はここがすごくて、366日という曲を通して、親と子どもの心理的な距離がグッと縮まります。

うちでも、まさにそれが起きました。
映画を観た帰りの車で、娘が366日を歌い始めたんです。
娘にとっては映画で初めて聞いた曲なので、歌詞はうろ覚えです。
僕は歌詞だって、怖いくらい覚えているのです。
だから、僕がスッと続きを歌うと、娘がモフみたいに目を丸くして


お父さん、歌えるのー!
とテンションが上がりました。
そうして、車で366日を歌いながら家路についたのです。
もし、新作オリジナル曲だったら、こうはいきません。

だって、新譜なって歌えないもん!
この「曲を知ってるだけ」が、親子関係においてはめちゃくちゃいい感じに機能したのです。
子どもからしたら、
自分が今好きになったものを、お父さんは昔から好きだった。
これだけで一気に、距離が縮まります。
子どもは、自分の好きになったものを認めてくれることを、すごく喜ぶんです。
しかも、この効果のすごいところは、親側がいいかっこできるということです。

子どもの興味あることを、どや顔で親が教えられる設計は素晴らしいです!
作品の余韻を映画館で終わらせず、帰り道まで親子の思い出に変える。
ここまで設計されていたとしたら、西野亮廣さんは本当にすごいですね。
余談:懐かしいと新しい
ちょっと話はそれますが、ここまで読んだんだから付き合ってください。
「懐かしい」と「新しい」の温度差を使った作品として、仮面ライダーフォーゼがあります。
福士蒼汰さんが主演なんですが、設定がヤンキーなんです。
子どもは、ヤンキーなんて見たことないから、新しいものなんですね。
でも、一緒に見ている親たちにとってはヤンキーって、なんか懐かしさを感じたんです。
仮面ライダーってシリーズによって、大人向けの時と子ども向けの時があります。
でも、仮面ライダーフォーゼは「親と子どもが一緒にハマったライダー」で有名なんです。
それは、ヤンキーが新しさと懐かしさを持っていたからです。
クリエイターは「懐かしさ」を作れない!
ここで最後に、クリエイターとしてすごく大事な話をします
※僕もブロガーなのでクリエイターです。
コメット&ウイニーはいっていました。

技術屋には直せんもんが1つある。
人の心じゃ
それになぞらえるなら

クリエイターにはつくれんもっがある
それは「懐かしさ」だ
クリエイターは「懐かしい」という感情を、ゼロから作ることはできません。
なぜなら、懐かしさは作品の中にあるものじゃなく、受け手の人生の中にあるものだからです。
- 新しい名曲は作れる。
- 心を震わせる物語も作れる。
でも、それを「懐かしい」に変えるのは「時間」しかありません。
受け手がその作品と一緒に人生を過ごして、初めて懐かしさに変わるのです。
逆に、「懐かしさ」を意図的に作ろうとして、過去の名作の空気感をなぞりすぎると、どうなるか…

それは、懐かしさではなく、ただのパクリになるのです。
ここは本当に紙一重です。
西野亮廣さんがうまいのは、懐かしさを「捏造」していないところです。
すでに親世代の人生に存在している366日を、親子の距離を縮めるために正しく借りた。
だから刺さるし、帰り道に娘と会話が生まれたのです。
つまり、懐かしさは作れないけど、懐かしさが会話に変わる導線を作ったのです。
懐かしさという感情をフックにして、「親子の距離を縮める装置」として、既存曲である「366日」を使ったのではないかと、僕は感じたわけです。
これこそ、西野亮廣のとんでもなくうまい設計だと僕は思っています。
まとめ:既存曲を正しく借りた!
既存曲を使ったことに関して、賛否が分かれていますが、僕は「既存曲の力を、正しく借りた」というのが今回の最大のポイントだと思います。
オリジナル曲を使うのがいいか、既存曲を使うのがいいかは、受け手次第です。
でも、既存曲の使い方としては、最高の使い方だったと僕は思います。
あ、おなじ原理で言えば、コメット&ウイニーの
「なーに乗ってんの?なーに乗ってんの?飛びたいから乗ってんの?」という一気コールも同じ原理ですよね。
大人の懐かしさを引き出して、子どもには新鮮さを与えるという構図です。
既存曲を使うということは、既存曲のパワーにあやかっているという、少しズルさを感じるかもしれませんが、こういう細かい設計があったとしたら、映画の見え方も変わってきませんか??
では、366日を口ずさみながら、今日はここでペンを置きます

