【うざい】論破する人が嫌われる5つの理由とコミュ力改善法!

最近は論破って言葉が、じわじわと市民権を得てきていますよね。
特に男性では「論破する事をカッコイイ」と思っている人もいる始末です。
人はそれを論破廚(ろんぱちゅう)と呼びます。
とにかく、うざい存在です。
いや別にいいんですよ。
論破好きと、論破好きが、Xやスレッズ論破しあってる(レスバトル)するのは全然かまわないんですよ。
でも、友達や恋人を論破する人って、どうかしてるとしか言いようがありません。

論破するやつと、酒クセ悪い人とは友達にはならないかめぴょんです!
本日は「論破する人って、シンプルにうざいから嫌われるよ」と言う話をしていきます。
論破する人は、嫌われるのにどうして論破をするのでしょうか?
人は、どうして論破するのでしょうか??
どう考えても、論破なんてしまったなら、相手にはわだかまりしか残らず、良好な人間関係が築けないじゃないですか?
シンプルにうざいです。
昭和のヤンキーのように「タイマン張ったらダチだぜ」と言うのは、現代では仮面ライダーフォーゼ(福士蒼汰くん)か、北関東の一部にしか生息していません。
そして、うざい論破をする人は、基本的に自分軸と言うものを持っていません。
本来は、自分の主張と対立している人を説き伏せるのが、そもそもの論破です。
ちなみに論破は、弁駁(べんばく)とも言います。
他人の説を、その誤りをついて言い破ること。(コトバンク)
ですが、論破する人は、そもそも「論破する事が目的」といううざい思考にすり替わってしまっているのです。
それは、自分の主張を何がなんでも通したいという、純粋な気持ちではなく
- 相手より優位にたつ
- 相手に負けを認めさせる
- 相手の揚げ足をとる気持ちよさに酔いしれている
つまりは、「俺の勝ちだ!」という悦に浸りたいわけです。
ですから、論破するウザい人は、勝ちたいがために論破できそうな相手をSNSで探しているのです。

僕がうざ絡みされたSNSが見たい方はコチラをクリック
論破する人のうざい思考は「無視」という選択ができないから
本来の論破は自分の譲れない部分を貫き通すために使う術です。
でも、普通に生きていてそんなに譲れないものってありますか?
少なくとも僕は相手と口喧嘩して、説き伏せたいと思うような熱いものは持ち合わせていません。
意見が違う人がいても

そういう考えの人もいるよね

うん、この人とは話が合わなそうだから距離を置こう
となり、言い争い(論破合戦)に発展する事がありません。
例えばですが、以前「私、もののけ姫大好きなんです!」と言う女性と話したことがあります。
僕もジブリには並々ならに愛情があるので、ちょっと嬉しかったです。
と・こ・ろ・が
他の人が、「もののけ姫って結局どんな話なの?」と質問した際に

えっと~エボシっていう悪い人がいてぇ~

いや、もののけ姫を見たことあるはお分かりだと思いますが、エボシ悪い奴って言ってる時点で全然もののけ姫の事をわかってないんです。
この場合あなたならどうしますか?
【無視する】
無視と言っても、話を無視するわけではなくて「まぁ、別にそう思ってるならそれでいいかぁ」と意見を無視すると言う事です。
もっとわかりやすく言うと「いちいち嚙みつかない」と言うことです。

俺も見たけど、おもしろいよね~
あ、でも最終的にエボシっていいやつだよね、なんやかんや
この程度にとどめておきます。
【論破する】
ここで「エボシは悪い奴じゃない」という事を主張したとします。

いや、エボシが悪い奴とか、全然物語理解していない証拠じゃん。
彼女は山を切り崩しているけど、高齢者や女性と言った社会的に地位がい低い人に雇用と居場所を作っているんだよ。
人を守るために自らが神殺しをやっているんだ。
彼女は強引だが一番人間を護っているんだ!
そんな事もわかんないで、もののけ姫好きとか言わない方がいいよ。
俺はハッキリ言うタイプだから言うけど、俺以外にもそう思ってる人いると思うから。
とか言っちゃうやつです。
超うざいです。
でね、これってなんの生産性があるんですかね??
僕には、この後もののけ姫好きな女性と仲良くなれる展開がまるで見えないのです。
もののけ姫好きの女の子が不快な思いをしてしまっただけのなんの生産性のない会話じゃないですか?
ひょっとして、論破する人は「論破した相手が改心して仲間になる」という、ドラクエ5システムが採用されているとでも思っているのでしょうか??

論破する人はうざいからシンプルに友達が減る
論破する人って、ちゃーんと人を選んでいます。
お気に入りの女の子や、自分の事をチヤホヤしてくれる人の事を論破したりはしないのです。
そもそも論破する人は「自己肯定感」が低いうえに「承認欲求」が異常に高いので、自分の事を認めてくれる(自分の存在を肯定してくれる意見)は、とっても大切にする傾向があります。

子どもの頃に愛されなかったから、「俺ってすごいでしょ!」とアピールするしか、自分を満たせないんですね。
なので、論破する人は自分の存在を肯定するために相手を論破しているのです。
論破する人は、ひろゆきのマネをしたがる
例えば「ひろゆきさん」の論破は、エンターテイメントなので問題ありません。
問題ありませんが、あれを真似している人がいたら、その人はシンプルに嫌われているはずです。
ひろゆきさんは「論破王」としてキャラが成立しているから問題ないのです。
でも、素人がマネしちゃいけない内容です。
人はキャラ不足の状態の時に、ハラスメントが発生します。
なので、シンプルに飲み会やSNSのコメント欄で論破的な事をしてきたら、僕はそいつとは友達やめます。不愉快だから。
論破する人がハマる意外な落とし穴
で、意外な落とし穴があるんですが、僕も含めて発信者(表現者)と言うのは、少なからずアンチに絡まれます。
このアンチと言うのは、本当に厄介でとにかく揚げ足とって嫌なことを言ってきます。
当然、応戦したくなります。

でもね、これって本当にマイナスしかないんですよ
コメント合戦(レスバトル)は、楽しいかもしれないです。
(僕は汚い言葉使う人と関わると、ゲンナリするから楽しくすらないですが…)
ですが、論破は絶対にハッピーエンドになりません。
そこで、一番厄介な事は誰もが見えるコメント欄とかで戦っている事なんですね。
なので、論破する人は自分の気づかない間に結構人が離れていくんです。
つまり、論破することで自分を好きになってくれる人って、一人もいないんですよね。
まとめ
「論破!」って言えば、なんか勝利したという空気がありますよね。
議論って本来、勝ち負けじゃなくて「何が正しいか」とか「どうすればいいか」を一緒に考えるものだったはず。
なのに、最近は“勝ったほうが正義”みたいな空気が強すぎて、「会話って何だっけ…?」って首かしげてしまうことが増えました。
議論することは大切ですが、“論破すればいい”ってノリが強くなると、たぶん誰も幸せになりません。
さて、今日はここでペンを置きます。